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意思決定

「難しい」と「複雑」を取り違える組織の力学

少し前のことだが、ある企業の経営層から相談を受けた。社内に新しいイノベーション拠点を作りたいという話で、先方はすでにかなり具体的なイメージを持っていた。フロアの面積、ゾーニング、必要な設備のリスト——持ってきた資料にはびっしり付箋が貼られていて、要するに「どういう施設を作るか」という問いに対して、かなり整理された状態で我々のもとに来たのだ。

ただ、話を聞いていくうちに、本当の課題はそこではないことが見えてきた。彼らが解きたかったのは「どうすれば、この拠点にイノベーターが集まり、居続け、そこから何かが生まれる状態を作れるか」という問いだった。フロアプランの話から、人が留まる生態系をどう育てるかという話へ。課題の性質がまるで違う。

先方の判断力に問題があったわけではない。むしろ非常に優秀な方々だった。ただ、彼らの周囲にある仕組みが、課題を「解けるかたち」に整えることを強く求めていた。このパターンは珍しくない。むしろあまりにも頻繁に見かけるからこそ、なぜそうなるのかを考える価値があるように思う。

「煩雑」と「複雑」は程度の差ではない

経営の意思決定には大きく分けて二つの種類がある。一つは、解くべき問いがたくさんあり、それぞれに専門知識や調整が必要だが、一つずつ潰していけば答えに辿り着けるもの。もう一つは、そもそも何を問うべきかが定まらず、要素同士が互いに影響し合い、一箇所を動かすと別の箇所が予測できない形で反応するもの。前者を「煩雑な(complicated)意思決定」、後者を「複雑な(complex)意思決定」と呼ぶことが多い。

この区別自体は、おそらく多くの経営者が聞いたことがあると思う。ただ、言葉を知っていることと、自分の目の前の課題がどちらなのかを正しく見極められることは、まったく別の話だ。そして厄介なのは、この見極めを間違える原因が、個人の判断力の問題ではなく、組織の構造にあるケースが非常に多いということである。

組織は「複雑」を「煩雑」に格下げしたがる

冒頭のイノベーション拠点の例に戻ると、なぜ先方は施設設計という「煩雑な問い」に課題を収めようとしていたのか。答えは単純で、そうした方が組織として動きやすいからだ。

煩雑な課題には、スコープがある。予算が立てられる。承認プロセスに乗せられる。役員会で説明ができる。担当部署に落とし込め、進捗を報告できる。稟議が通る(つまり、組織として前に進んだ感覚が得られる)。一方、複雑な課題はそのどれもが難しい。「イノベーターが居続ける生態系を作る」という問いに対して、いったいどんな稟議書を書けばいいのか。スコープは何か。KPIはどう設定するのか。完了条件は何か。

ここで起きているのは、経営者個人が複雑さから逃げているという話ではない。むしろ、周囲にいるすべての人が、課題を「煩雑」に格下げした方が都合がいい——そういう構造的な力学が働いている。コンサルタントにしてみれば、スコープが決まった方が提案書を書きやすい。役員会も承認しやすいし、現場だってタスクに落ちていれば動きやすい。誰もが、意識的にせよ無意識にせよ、複雑さを削ぎ落とす方向に力を加えている。

役員会で「この件はもう少し時間をかけて、問いそのものを見直した方がいいのではないか」と言い続ける経営者は、組織の中でどう見られるか。おそらく、慎重すぎる人、決断力がない人、話を前に進められない人、と思われるリスクがある。少なくとも、そう思われることへの恐れは確実にある。複雑な課題に複雑なまま向き合うことには、相当な覚悟が要る。ただ同時に、格下げした瞬間に本来の問いから離れてしまうリスクもあるわけで、どちらを選んでも何かを引き受けることになる。

助言者の自戒

ここで正直に書かなければいけないことがある。この「格下げ」の力学は、助言をする側にも働く。自分も例外ではない。

我々のような外部のアドバイザーは、クライアントの課題を的確に整理し、明快な道筋を示すことで信頼を得る。「なるほど、そういうことだったのか」とクライアントが腑に落ちた瞬間に、我々の価値は目に見える形になる。ただ、その「腑に落ちる」瞬間を作るために、課題の複雑さを必要以上に削ってしまう誘惑は、常にある。複雑なものを複雑なまま提示するとクライアントは不安になるし、こちらの能力を疑うかもしれない。「結局何をすればいいのかわからない」と言われることへの恐れは、アドバイザーにとっても切実だ。

ここには解消しきれない矛盾がある。課題の本質を伝えるためにはある程度の整理が必要だが、整理しすぎると課題そのものを歪めてしまう。この綱渡りに正解はないのだろうと思っている。ただ、少なくとも「自分は複雑さをちゃんと見えている側の人間だ」という顔をしながら、実は格下げに加担している可能性がある、ということは常に自覚しておくべきだと考えている。以前、あるプロジェクトで、クライアントに見せる資料をまとめる過程で、自分でも気づかないうちに課題の輪郭を整えすぎていたことがある。整理した瞬間は「わかりやすくなった」と思ったのだが、後から振り返ると、わかりやすくしたのではなく、扱いやすい問いにすり替えていたのだと気づいた。こういうことは、おそらく多くのアドバイザーが経験しているのではないかと思う。ただ、それを認めるのはなかなか居心地が悪い。

境界線を引くという判断

では、複雑な課題にはどう向き合えばいいのか。一つ確かなことがある。複雑な意思決定に取り組む際、どこかで「ここまでを考慮の範囲とする」という仮の境界線を引く必要がある。すべてを同時に考えることは不可能だからだ。

ただ、この境界線をどこに引くかという判断自体が、極めて難しい意思決定だ。自分に近いところに線を引けば、扱いやすくはなるが、見落としのリスクが跳ね上がる。広く取れば視野は広がるが、収拾がつかなくなる。どこに引いても何かを犠牲にする、という前提で引くしかない。

冒頭のイノベーション拠点の話でいえば、「フロアプランが必要だ」と「イノベーターが留まる仕組みが必要だ」の間には、境界線の引き直しがあった。施設設計という枠の中で考えていたものを、人の行動や動機、コミュニティの力学まで含めた枠に広げた。その瞬間に、課題はまったく違う姿を見せた。

この境界線の引き方に、万能な手法はないと思う。ただ一つ、経験から言えることがある。大事なのは完璧な境界線を引くことではなく、自分が引いた線の外側から何かが飛び込んできた時に、驚かない準備をしておくことではないだろうか。境界線は仮のものだという前提で意思決定を進められるかどうか。「想定外」を本当に想定外にしないための構えとでも言えるかもしれない。


複雑な課題に、複雑なまま向き合うことには覚悟がいる。組織の仕組みも、周囲の人間関係も、そして自分自身の心理も、課題を「扱いやすい形」に整えようとする力が常に働いている。その力に抗えとは言わないし、抗うことが常に正しいとも思わない。ただ、その力が働いていること自体に気づいているかどうかで、意思決定の質はかなり変わるのではないかと思う。

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