誰が主導権を握っているのかを、はっきり示すこと。指示していない動きは絶対に許さないこと。撫でないこと。力を加えることが命令で、その力を抜いてやることだけが報酬になる。従わなければ、力をかけ続ける。
先日、家族で行った湖畔の乗馬施設で私が受けた説明だ。西部劇のセットのような場所で、ドリームキャッチャーが下がり、ログハウスが並んでいる。馬の名前はモホーク、シャイアン、ペコス。(だいたいの雰囲気は想像がつくと思う。)インストラクターたちは厳しかったが、親切だった。家族は心から楽しんだし、これは彼らの指導を批判する話ではない。
もっとも、馬に乗るのは十代の初め以来で、その頃に習ったこととはずいぶん違う気がした。犬の飼い方はこの数十年で大きく変わっている。(私自身、言うことを聞かない犬は叩け、と言われて育っている。)記憶違いかと思って調べてみて、ようやく腑に落ちた。馬の扱い方も同じように変わってきていて、あの日の説明のほうが、古いやり方の生き残りだったのだろう。
調べているうちに、思いがけないところに行き当たった。明治政府の兵制改革によって洋式馬術が入り、日本古来の馬術はほぼ廃れている。入ってきた経路は陸軍で、その中心にあったのが陸軍騎兵学校だった。そして、日本の乗馬で使われる用語の多くは、いまもその頃の軍隊用語の流れを汲んでいる。休日に家族連れが馬に乗る施設で、インストラクターは百数十年前の騎兵が置いていった語彙で号令をかけている。
帰り道、これには名前が必要だと思った。馬のリーダーシップ、と呼ぶことにする。ただ、これを人の組織に置き換えたときに割を食うのは、鞍の上にいる人よりも、命令を受け取って下へ流す側のように思う。
地方都市で地域イノベーションの仕事を長くやってきた。反応が速く、目に見える。その一方で、人の関係が濃い分、内側から変えようとする動きは通りにくい場所でもある。
ある大きな地方都市で、大規模なイノベーションプログラムを担当した。クライアント組織の階層は明快で、命令を出す人と、命令を実行する人しかいなかった。私の窓口はいつも前者の一人で、正直に言えば、彼が我々の目指すものを理解していたのかどうか、いまでも分からない。ただ、彼を通せばリソースは動いたし、誰が何をするのかもはっきりした。(当時の私も、それで困ることがあるとは思っていなかった。)拠点も、ロゴも、事業モデルも、運営を担う人材の育成も、ようやく形になりはじめていた。
引き渡しの直前に、大きなものが動いた。取締役会が方針を変えたのだ。極めて政治的な判断で、その部屋には彼もいなければ、我々もいなかった。変更そのものは、取締役会から見れば些細なものだったらしい。ところが、ゼロから物語を組み立て、設計と事業モデルと採用計画に落とし込んできた側には、そうではなかった。長く議論し、彼とも話し、顧問弁護士の見解も取ったうえで、この変更は当初の契約の範囲を大きく超えていると判断した。
彼がそれを取締役会に伝えると、動きは早かった。取締役会はこれを彼の失敗として受け取り、彼はプロジェクトから外された。しばらくして、遠方の支店へ左遷されたと聞いた。事態を落ち着かせるため、という説明だったそうだ。後任には、より従順な人が座った。
彼が家族の待つ街に戻れたのは、数年後のことだった。
クライアント組織の側から見れば、これは危機を回避した成功例である。面目は保たれ、仕事の進め方は何一つ変わらなかった。プログラムのほうは、誰も不快にさせず、肝心な問いを立てないだけの、ずっと小さく単純なものに縮んだ。
あの構造の中で、何が起きていたのだろう。
力による統制は、理解を不要にすることで速度を買っている。命令を出す彼が目的を理解していなくても、リソースは動いた。これは欠陥というより、この方式の効率そのものだろう。指示が安定しているかぎり、理解が欠けていることは誰の目にも入らないし、コストにもならない。
ところが仕様が変わった瞬間、この構造は、服従では供給できないものを求められた。判断である。圧力とその解除だけでできた仕組みは、従うか逆らうかのどちらかに寄りやすい。もちろん例外はあるのだろうが、少なくともあの場では、技術と法務に裏づけられた正確な評価も、取締役会には拒絶としてしか届かなかったように思う。
力による統制は、異論も一緒に取り除く。そのうえで、説明責任が向かう先を、命令を出す人のところへ移してしまう。彼は外せる。取締役会は外せない。命令を出す側とはいえ、彼もまた命令を受ける側だった。結局、説明責任は取締役会まで届かなかった。ここがいちばん厄介なところだと思う。命令を受ける側も、何も分かっていないわけではない。おかしいと感じることはできる。ただ、それを問い返すだけの材料と立場がない。分からないより、こちらのほうがたちが悪いのではないだろうか。
人は放っておけば働かないから、統制し、罰をちらつかせる必要がある。ダグラス・マグレガー(Douglas McGregor)が1960年にX理論と名づけたのは、こういう人間観だった。この方式の土台にあるのも、たぶん同じものだろう。
同じ形は、別の業界にも残っている。1978年のユナイテッド航空173便では、着陸装置の不具合に気を取られた機長に、副操縦士と航空機関士が燃料の残りの少なさを繰り返し伝えていた。機長は動かず、燃料は尽き、10名が亡くなっている。米国の国家運輸安全委員会は、機長が乗務員からの進言に適切に対応しなかったことを原因に挙げている。あの地方都市で命令を出していた彼が座っていたのは、機長席ではない。副操縦士の席だ。正確な情報は上まで届いていて、降ろされたのは届けた側だった。違うのはそのあとで、航空業界は指揮系統を残したまま権威勾配を平らにする訓練をつくった。あのクライアント組織が変えたのは、仕組みではなく、伝えた人間のほうだった。
では、あの階層は結局、何を守ったのだろう。
私の経験では、この種のつまずきのあとに組織がそのまま生き延びることは、それほど多くない。あの件では内部告発も、外から見ている人もいなかった。厳格な階層は、たしかに事業を守ったのだと思う。ただ、その保護が届く範囲は現状維持までだ。運営している人たちを守ることには驚くほど強く、何かを生み出すことにはひどく脆い。
クライアントの事業は、あの件のあとも安定していて、むしろ伸びている。一方で、その事業が相手にしている地域のほうは、後戻りのきかない縮小に入った。人口も、地域の産出も落ち続けている。あのプログラムは、その地域の健全さを取り戻すことで、クライアント自身の先々を確かにするために発注された。(この順番のことが、いまでも少し引っかかっている。)その狙いが最後まで届かなかったことは、いずれクライアント自身に返ってくるのかもしれない。
取締役会は、意思決定のやり方そのものを変える必要を理解しないまま、評判を危険にさらさない、という結論に落ち着いた。古いやり方が悪い、と言いたいのではない。ただ、変わることを拒み続けると、最後の最後まで戦い続けることになる。しかもその相手は、たいてい競合ではない。変わらなければならないという事実そのものだ。慎重に変えていけば、経験からしか出てこない知識を残したまま、新しいやり方と組み合わせられる。やり方は一つしかないと思い込むほうが単純で、飲み込みやすい。目を配り続けるのは手間がかかる。それでも、粘り強いのは、たいてい後者のほうだ。馬のリーダーシップはかつて機能したし、いまも機能している場所は、時代の流れから想像するよりずっと多いように思う。その場所が、いまの経済や政治の速さと込み入り方に耐えられるようには見えないというだけだ。
この方式は、責任を上に集める。新しいことを始めるのも、大きく賭けるのも、そこで決まる。外の誰と手を組むかも同じだ。上にすべてが見えている前提だが、そんな人に会ったことはない。
あの湖畔の乗馬施設のことも、書いておく。とても気持ちのいいところで、家族は本当に楽しんだ。ただ、経営は明らかに傾いていた。そこはもう、かつての自分を展示している博物館だった。
荒れた地面を、どんな天気でも走り続けてきたのは馬のほうだ。その馬が先に危険に気づいていたとしたら、それでも、進む先を決める材料は自分の視野と判断だけでいいのだろうか。