役員会で、新しい方針が正式に承認された。出席者全員が同意し、稟議書には全員の押印が並ぶ。
ところが、一週間後、現場の動きが微妙に遅い。三ヶ月後、信頼していた中堅幹部が、表向きは「キャリアの転機」と言って退職する。誰も、その退職を、あの決定と結びつけて語らない。
日本の組織で意思決定をしてきた人なら、この感覚に覚えがあるのではないだろうか。決定そのものが間違っていたのか、伝え方が悪かったのか、それとも、合意は最初から建前だったのか。正解は、決定が下された日にはほとんど見えない。むしろ、後から少しずつ姿を現してくるように思える。
同じ決定を、ある人は「良い判断」と呼び、別の人は「悪い判断」と呼ぶ。これを単なる意見の違いとして片付けるのは簡単だが、その先に踏み込むと、見えてくるものがある。
時計と、聞き手の範囲
ある決定をめぐって、二人が正反対の評価をする時、その差を生んでいるのは、決定そのものというよりも、二つの構造的な要素であることが多い。その人がどの時間軸を頭に置いているか。そして、誰のことを思い浮かべながら話しているか。この二つの軸が、決定の上に静かに重なって、まったく違う読み方を生んでいる。
同じ十年でも、年配の従業員と入社三年目の若手では、意味が違う。長年取引してきた地元金融機関と、これから新規開拓したい層では、優先される時間軸が違う。
行政が主催する地域の住民説明会を思い出してもいい。橋の架け替えや学区の再編をめぐって、一時間ほど議論が白熱する。表向きは、その橋や学区について論じているように見える。ただ、その下では、年金生活者と未就学児を持つ親の間で「どの三十年に責任を持つか」を巡る議論が、静かに走っている。意見の対立は、実はその「どの三十年」を共有していないところから来ていると言える。
二つの軸が見えると、会議室の熱の高さも、沈黙の重さも、少しだけ読みやすくなる。
ある国際的なネットワーク組織の話
少し前に、海外のあるネットワーク組織のブランド再構築に、戦略助言の立場で関わったことがある。世界中に拠点を持つコミュニティ系の組織で、十数年かけて育ててきた英単語一語のブランド名が、法的に保護できない状況に追い込まれていた。複数の市場で、まったく無関係な事業者が、同じ単語を先に商標登録してしまっていたのだ。日本市場も、その一つだった。ブランド名に語を一つ足して、保護可能な形に変える、というのが、現実的に取りうる唯一の道だった。
ところが、この決定そのものは明確であっても、現場の対話は割れていた。十年以上、自費で拠点を運営してきた古参のメンバーは、ブランド変更を「自分たちが築いてきたものの否定」と受け取った。設立から二年も経っていない若い拠点は、逆に「時代に合った新しいアイデンティティ」を歓迎した。どちらも、それぞれの立場から見れば正当な反応だった。にもかかわらず、互いの主張は、ブランドの是非を論じているように見えて、実はどの時間軸を生きているかを巡って噛み合っていなかった。
古参の拠点にとっては、ブランド変更は数ヶ月の作業ではない。十数年来の行政機関や提携先との関係を一つひとつ更新し、相手側の調達システムに古いブランド名が残っている間は、誤解されたメールの後始末を続けることになる。若い拠点にとっては、移行期間は数ヶ月で見通せる短さだった。同じ決定に、二つの異なる時計が重ねられ、その下で二つの異なる未来が同居していた、と言ってもいい。
私自身に、何か洗練された方法論があったわけではない。参加していた経営者たちの背景や言語があまりに多様で、どんな手法を使っても、その多様性の前では役に立たなかったと思う。できたことがあるとすれば、共通のフレームを一つだけ、静かに保ち続けたことだ。一語のブランド名が抱える法的な脆弱性は、長い時間軸で見れば必ず再発する。今、ブランド名を整える費用は、その将来の法廷闘争を考えれば、むしろ安い保険である。このフレームの中で、各拠点の主張を再配置してもらった。
それから、もう一つ大事だったことがある。古参の拠点が抱いていた「自分たちの仕事を否定された」という感覚を、否定せずに溶かす必要があった。実際には、その逆だった。ブランドが十分に成功したからこそ、まったく関係のない事業者が便乗してきたのだ(その意味では、皮肉な勲章でもある)。過去の成功を「今の苦境の原因」として再フレームすると、古参の拠点は、自分たちの貢献を誇りつつ、特定の単語そのものは手放せるようになる。結局、議論が落ち着いた先は、まだ会議室にいない「これからの拠点」だった。一年後、三年後、十年後に参加してくる新しい拠点は、保護可能で、ぶれない名前を必要としている。長期視点が、最後に静かに勝った。声を張り上げて勝ったわけではない。フレームが選ばれ、フレームの中では、もう争点はあまり残っていなかった、ということだ。
助言者がフレームを選ぶ
正直に言えば、自分の仕事を「中立」と呼ぶことには、いつもどこかで引っかかる。クライアントには(そして、自分自身にも、よく)「決定の良し悪しに対して中立を保つのが私の役割だ」と話している。間違ってはいない。ただ、その言葉を額面通りに受け取ると、少しずれている。
あのブランド再構築の場面で、私は結果に対して中立ではなかった。一定の方向に話が落ち着くべきだと考えていたし、そのために、百通りの小さな会話を重ねた。私が中立であろうとしていたのは、もっと狭い場所だ。あらかじめ合意したフレーム(共通の時間軸と、その決定の影響が及ぶ人たち、特に会議室にいない人たちまでをどこまで視野に入れるか)の「中」で、どの主張が通るかについて、私は意見を持たない。一方で、その「フレーム」そのものは、自分が意識的に選び、保ち続けたものだ。中立は、フレームの中に住んでいて、フレームの上には住んでいない。
これは、自分の仕事の最も難しい部分でもある。フレームを選ぶ役割と、勝者を選ぶ役割の間には、思っているより細い境界線がある。一度、勝者を選ぶ側に踏み込むと、信頼の質が変わる。経営者の側にとっては、この区別は決定的に重要なのだと思う。
意思決定の「持ち主」が誰なのか、という話は、以前にも書いた(Decisions without authors)。誰がフレームを選んだのかが曖昧な決定は、どこから議論を組み立て直せばいいのかも曖昧になる。フレームを選んだことを率直に認める助言者は、少なくとも、議論の相手にはなる。「私はフレームなど選んでいない」というふりをする助言者こそ、結果として、最も静かに会話の方向を握っていることが多い。
誰が言っているのか
日本企業の経営者の多くは、率直に「これは悪い判断ですよ」と言ってくれる相手を、社内に持っていない。決定が発表され、何かしらの異論が、直接ではなく間接的に伝わってくる。その時、まず必要なのは、否定でも譲歩でもなく、自分への二つの問いだ。
誰が言っているのか。なぜ言っているのか。これだけだ。簡単すぎるように聞こえるかもしれない。ただ、実務の現場では、この二つに答えられないこと自体が、最も重要なシグナルになる。
誰が言っているのかわからない。匿名の投稿や、二人を経由して伝わってきた噂や、廊下でなんとなく感じる空気の変化。そして、なぜ言っているのかも、自分の言葉では説明できない。そういう時、決定を防御に回す前に、決定を「保留」する。保留は、相手の声に屈することでも、押し返すことでもない。判断を据え置いたまま、誰がなぜ言っているのかを、見えるようにするための時間を、自分から作ることだ。
(正直、自分にも、この感覚を何度も言い聞かせなければならない。保留は消極的な姿勢ではない。むしろ、最も自制を要する判断の一つではないだろうか。)
誰と理由が見えてくると、その異論は、構造的に読み解けるようになる。相手はおそらく、自分とは違う時計を回している。あるいは、自分が頭の中に思い描いていない、別の集団のために発言している。さらに、その人自身がその決定の影響を実際に受けるのか、それとも、影響の届かない場所から眺めているのか、という違いもある。私はこれを内心で「時間軸、対象範囲、近接性」と呼んでいる。中でも近接性は、現場で最もよく使う軸ではないだろうか。ある異論を「シグナル」として扱うべきか、「安全な距離からの意見」として扱うべきかを、最もよく分けてくれるからだ。
同じ規律が、別の部屋で
ところが、この「保留」と「誰がなぜ」の問いかけは、日本の現場では、欧米の現場とは、ずいぶん違う動きを見せる。
日本の組織では、決定が公式に発表される時点で、異論はすでに別の場所で処理されている。根回しが進み、稟議が回り、役員会の卓上には、ほぼ全員の押印が揃った文書が並んでいる。会議室は、合意が「演出」されているわけではないにせよ、合意がそう見えるように整えられている。だから、異論は、決定の場には現れない。
代わりに、異論は「後」に現れる。実施スピードがほんの少し遅く、協力姿勢も計画よりわずかにずれる。そして半年後、有能な中堅が、誰もあの決定とは結びつけずに、静かに辞表を出す。本人にも、自分の辞表があの決定と結びついているという自覚は、薄いかもしれない。
欧米的な「聞こえる異論」に慣れた経営者ほど、日本の現場では、最も重要な異論を取りこぼしやすい。金曜日の朝に届く、信頼する部下からの「あの判断は良くなかった」というメッセージは、日本では、ほとんど存在しない。代わりに存在するのは、沈黙であり、表に出てこない静かな後退の動きである。
(日本社会がここ十数年抱えてきた、匿名アカウントの過剰な発信や、ネット上の中傷の問題は、ある意味でこの構造の影でもあると思う。会議室で「場を乱す人」にならない代わりに、本音は、抑えのきかない匿名の場所に漏れ出していく。経営者が見つけにいくべき異論は、こうした匿名の声よりも、現場の静かな後退の方にあると思う。)
もう一つ、欧米的なフレームでは見落としがちな層がある。本音と建前という日本の文化的な働きから、「公式に発表された決定」そのものが、ある種の建前である可能性だ。社内の反対勢力をなだめ、業務を前に進めるために設計されたタテマエとして、決定が打ち出されていることがある。だとすれば、経営者がたどり着くべき問いは、「誰が、なぜ反対しているのか」だけでは済まないのかもしれない。「そもそも、私が今読んでいる決定は、本物の決定なのか」という、もう一段奥にある問いに、改めて立ち戻る必要が出てくる。これは、欧米の経営者が経験することの少ない、もう一段深い「決定の解読作業」だと言えるかもしれない。
保留の原則そのものは、日本の現場でも生きている。ただ、その「見え方」は、ちょうど鏡像のように反転する。欧米の現場では、保留は「匿名のノイズには動じず、名前のついた異論を歓迎する」という、外に向かう動きとして現れる。日本の現場では、保留は逆に、内側に向かう動きになる。沈黙の異論が表に出てこられる場を、別の経路で用意するということだ。会議の外での非公式な一対一の対話を増やし、信頼できる仲介者を介して間接的に意向を確認しながら、欧米的な決裁スピードよりも、意識的にゆっくりとした最終承認まで時間を取る。原則は同じ。外向きの所作だけが、ちょうど入れ替わる。
日本のクライアントと仕事をしていると、いつも気づかされることがある。日本において、真っ当な異論は、消えてしまうわけではない。ただ、表面化するまでに時間がかかる。もしその異論が、本当に何かを掴んでいるのなら、初期の感情的な反応を生き延びて、最後には「名前」と「論理」を持って表に現れてくる。経営者の仕事は、その「名前」と「論理」が、決定が修復不能になる前に、室に届くだけの経路を、開けたままにしておくことなのだと思う。
名前と、論理
もう一つだけ、最後に書いておきたいことがある。
異論に「名前と論理」がついた時、経営者は、その異論に対して、決定の周りに集まっていた賛同の声よりも、ずっと多くの注意を払うべきなのだと思う。異論を唱える人たちは、フレームを少し動かせば、より良い形の決定を組み立てられた可能性のある人たちだ。彼らは、自分が見落としていた角度を、たいてい持っている。私自身、SNSで「よかった」と書いてくれる人のコメントは、ほとんど読まない。「これは違うのではないか」と書いてくる人の議論は、全部読む。「いいね」の数は、ほとんど何も教えてくれない。反論こそが、何かを教えてくれる。正直に言えば、自分は、挑戦を受けていない決定を、自分自身の判断としてあまり信用しない方になってきている。
異論の「内容」が薄くても、その「社会的事実」としての異論は、軽視できない。私が長年関わってきたスタートアップの創業者たちのうち、はじめて本格的に批判を浴びるようになった時期は、決まって、その事業が他人にとって意味を持ち始めた時期と重なる。世間は、まだ取るに足らないと判断している事業に、わざわざ反対の声をあげようとはしない。批判は、それ自体が無理筋でも、評判という資産を賭けて何かを言いに来た、ということだ。創業者には、これを個人的に受け取らないように、と話してきた(もっとも、自分が言われた時には、なかなかそうも行かないのだが)。
結局、規律としては、見た目よりずっと狭い場所に収まっている。どの決定にも、必ず「悪い判断だ」と言う人が現れる。問うべきは、応じるかどうかではない。その異論に、もう「名前」と「論理」がついているか、ということだ。ついているなら、時間軸、対象範囲、近接性の三つの軸で読み、自分が取り込むべきシグナルなのか、それとも、相手にまだ詰めてもらう必要のある問いなのかを見極める。ついていなければ、名前と論理が現れるまで、決定を保留する。ある文化では、その待ち時間は短い。別の文化では、長い。規律そのものは、変わらない。
金曜日の朝のメッセージと月曜日の午後の廊下の話。あるいは、役員会の沈黙の半年後に出てきた、一通の辞表。どれも、二つの「読み」が、後から一つに収束することはない。最初から、収束する性格のものではなかったのだろうと思う。仕事は、二人に同じように決定を読ませることではない。むしろ、決定を読んでいる相手の方を、丁寧に読むことなのではないだろうか。相手はどの時計を回しているのか。誰の集団を代弁しているのか。そして、その異論には、もう名前がついているのか、それともまだ沈黙の中にあるのか。
簡単な作業ではない。ただ、ここ十年ほど、意思決定をめぐる流行の論調が経営者に求めてきたことよりは、少しだけ楽なのかもしれない。これが、決定が最初の一ヶ月を乗り越えるか、二ヶ月目に静かに崩れていくかを、最も大きく分ける作業のように、私の経験では感じている。